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山本理子「目を澄まし、耳を開く。」

Posted:C-DEPOT STAFF 2009年7月24日 00:00

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[技法/材料]
切り絵

[作者コメント]
メをすまし、みみをひらく。
ツながる印をみつけるために。
セけんとちがうやりかたで、

ジぶんなりのやりかたで。

[解説]
会場で圧倒的な存在感を放っている山本氏の作品。ウサギの中に色々な物語を感じることができます。下記が、作者である山本氏が知人に宛に送った案内に添えた文章です。
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展示のテーマが決定した時から私の中でウサギが跳ね回り出した。
なぜウサギ?
とりあえずウサギを描いていたら思い当たった。「因幡の白兎だ・・・」

むかしむかし。
隠岐の島から本土に渡りたかった兎がいた。兎は海の鮫鰐をだまして本土に渡るがだまされた事に気づいた鮫鰐に皮をはがされ浜辺で苦しんでいた。

そこにヤカミヒメに求婚をしに行くオオクニヌシの兄妹神(八十神)達が通りがかり「海水を浴びて風にふかれれば治る。」と兎に教えた。その通りにした兎は傷口に塩がしみこみ、さらに苦しむことになった。

兄妹神より遅れて通りかかったオオクニヌシに正しい治療法をおしえられ傷が完治した兎は「あなたがヤカミヒメを娶るだろう」とオオクニヌシに告げた。

因幡の兎はメッセンジャーだ。真実を告げる兎は自分自身が激しい痛みを通り抜け、告げる者となっている。

私も兄妹神と同じことをしていないだろうか?
苦しんでいる兎を踏みにじり、笑って通り過ぎていないだろうか。
何かを伝えるとき、伝えられるとき、大勢に流されていないだろうか。

私は兎になる覚悟があるのだろうか?
たった一人で伝える悠希があるのだろうか。
伝える痛みに耐える覚悟はあるのだろうか。

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